TOP >> 青空を眺めて(バイクのコーナー) >> 九州からのツーリング日記

文字サイズを変える 神々の国「出雲」 神有月道中記
文字サイズ大文字サイズ中


事の始まりは、とある掲示板で10月の連休にツーリングに行きませんか?との書き込みを見て、出雲大社周辺の風景を撮影したかったので出雲に行きませんかと答える。
 これが今回のツーリングの初まりである。
 いつしか出雲ツーリングが縁談祈願ツーリングと変ったのか知らないが、出雲大社が縁結びの神様で有名だからであろう。

私は旅行のルート選定を任せられたので、 出雲観光のキーワードを古代製鉄と出雲大社参拝。 食する名物は出雲のそば、宍道湖のしじみ、地ビールがとした。
 計画の為に観光情報は出雲・松江にツーリング経験を持つライダーやインターネットで集め、100円ショップで購入した観光案内本と地図で確認しながら道を結んでいくのである。
 最近はライダーであっても、ルート選定を人任せにする方が多い。 しかし、ツーリングの醍醐味はこのルート選定から始まる。
 机上で選定したルート、仲間から聞いた情報、インターネットで調べた観光スポット等の情報から組合せて想像するのである。
 そして、見たこともない土地を頭の中でツーリングに何度も出かけるのである。  時折、情報提供をしてくれたライダーと走っている気持ちになったりと楽しかったりする。

 当日の朝は王司PAで九州勢と合流して高速を走り、鹿野IC?で降りて日本海へ
 長距離ツーリングなので、事前にバイク屋で整備/点検をしていしたので、快調に体に疲れを残さないように走っていく。

 しばらく国道9号線を走っていると、大きな大鳥居が道路脇に見えてきました。
 以前から津和野へ行きたいと思っていたので鳥居をくぐって盆地に降りると、山々に囲まれた「山陰の小京都」、津和野が現れる。
 この町は明治から昭和初期にかけての町並みが残っていて、白壁で有名な殿町通りへ行くと大勢の観光客が古都の白壁、小さい堀を泳ぐ鯉を見ながら散策をしていた。

 津和野川沿いに北上して益田町にでて日本海沿いに出雲まで走るのであるが、海が見えるころにはお腹が空いたので、サンパーク三隅道の駅に立寄る。
 ここから見える風景は海岸線を単線が通っており、所々に見える岩場は塩の後がついていた。
 この風景を眺めていると、バイクでなく鈍行列車の旅もよさげな感じと思ってしまった。
 ここまで走ってきて気になるのが、私たちが抜く集団、抜かれる集団の全てのバイクが福岡県内のナンバーを付けている。 何故、遠くに出かけて福岡ナンバーが多いんだ!!  これって、ひょっとして、僕らがインターネットで出雲ツーリングのメンバー募集の影響か?など等と相棒と話す。

 結局は団体の方が食事をしていたので、浜田市内に移動して浜田名物さざえ丼という看板の店で食事をする事にした。
 このお店は、ひと釜毎に生米から釜飯を炊き上げるので待ち遠しかった。 でも、釜飯のふたを開けると磯のかほりがテーブルの上を漂う。
 ご飯を茶碗に移すとたびに、ささえが住んでいた岩、それに打ち寄せる波の風景が脳裏に浮かぶ。
 口に頬張り食べるとミディアム状態に火の通ったサザエの身がコリコリと歯ごたえ、喉を通るときには上質のゼラチンを食べるようにつるりと美味しかったです。
 食事が終わると、鳴き砂などで有名な海岸線を走っていく。 UP、Downを楽しみながら走っていくと、なんか、変な風景が目に飛び込んできた。
 現実の世界でなく、アニメーションの世界というかそんな感覚がして、目に飛び込んで来る風景に遠近感がない。
 疲れたのかな?と思ってバイクを止めると原因がわかった。
 石見海浜公園に国道9号線を挟んで隣接している施設である石見安達美術館からしまね海洋館「アクアス〜」へと渡る為に作られた歩道橋が原因であった。 この歩道橋のデザインと色が、目に見える風景を絵画の世界に変えて不思議な気分にさせていたのであった。

  1年砂時計の施設のあるサンドミュージアムを横目でみながら、石見銀山の看板を頼りに出雲路への旅をいったん中断して山奥へ進んでいく。
 この石見銀山は16世紀〜17世紀の約100年の間には大量の銀が採掘され、戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われていました。
 また銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ銀」と呼ばれ海外にも数多く輸出されたそうです。 17世紀前半の日本で生産される。
 銀は世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれています。 
 石見銀の産出量は年間38tと推定されるので、かなりの部分を産出していたと考えられています。 佐渡の金山、石見の銀山....
 小さな島国なのに世界で算出される貴金属 の数割を占めていたので、伝説の国ジパングという話ができても不思議ではないですよね。

 石見銀山に到着すると代官屋敷前の駐車場にバイクを止めて石見銀山の歴史を勉強。
 最初の頃は落盤も多く、命がけとか
 パネル説明されてもピンとこなかったけど、銀山跡地近くの五百羅漢を見ると、なんだか(ノ<)
 実感してくるような感じです。
 今年は昔の日本を追いかけながら観光しているけど、品質という意味の技術では明治以前の日本は捨てたものでは無いことに気がついてきた。
 後で出てくるタタラ&大鍛治にしろ、現代の技術では再現できない物を作っていたとかとか...
 
 まぁ、それぐらいの技術をベースで持っていなければ、頭の良い人が海外で活躍する程度だったと思う。
 急速に西洋化できたのは目的が大量生産でなかったので評価は低かったけど、技術レベルが高かった証拠なんでしょうね。
 と思いながら、100年以上前の技術に驚きながら資料館を見て回った。
 町中は観光客もいなかったので、住んでいる方々に迷惑をかけないように注意を払いながらバイクで回ることにした。
 といっても、古い建物を残す狭い道をゆっくりと、写真を撮るために停車したときにはエンジンを止めてパシャパシャ、
 きょろきょろしながら、また進んでいくと行った感じであった。
 道路を進んでいくと人気が全然ないので、以前と比較して観光客が少なくなったのかな?と思っていたけど駐車場に行くと大量の車が止まっていた。
 どうも、施設に入って見学している方が多かったのだろう。 そういえば、銀製品を加工している店からは女性の声で賑っていた事を思い出した。

 石見銀山の観光を終えて、海岸線沿いの道路に戻り、しばらく走っていると、段々と出雲の山々が水平線のむこうに見えてきた。
 見えてきた山々というのが、出雲国風土記に八束水臣津野命が国をつくるのに出雲国は小さすぎるので、現在の三瓶山と大山にロープを結び、韓国から石川県の能登半島の範囲で見える余った土地を引き寄せて継ぎ合わせ、 また、その時のロープは弓ヶ浜という海岸線になったと記されています。
 やっと、出雲に近づいたとの感動が実感してきた。

  出雲の山々は見えるが、出雲市内に入ったときは夕方の渋滞が始まった頃であった。 
宿泊予定しているホテルの近くにある西出雲駅を探しながら国道9号線を進む。
 コンビニで、この日、ホテルで合流する予定の関東から来ている方から電話連絡が入る。
どうもバイクで走行中にカチカチ山のタヌキ状態となって岡山あたりにいるとの事。
 相棒が途中まで迎えに行こうと言っていたが、初めて出会う方と知らない土地で、日が暮れた後に待ち合わせ場所も決めずに走っても
 お互いに迷子になるだけだから、予約したホテルがキャンセル扱いされない内にチェックインしようと説得してからホテルへと向かう。

 PM6時に道を探しながら出雲の町の中にでる。 相棒はは関東の方を迎えにと言っていたが、次に連絡が取れてからと説得する。
 出雲に入って最初に口にしたいものと思い、最初発見した手打ちそば屋でそばを食べる。
 両親に食べさせようとお土産を買うが....バイクに積んで帰ったので家に着く頃には団子となっていた。(笑) 
 そば屋では、私はそこのオリオジナルを食べたが、冷やし麺みたいで歯ごたえもいまいちだった相棒は割こそばを頼んでいて、ひとつ私にくれた。 割こそばは歯ごたえもあって、おいしかった。(ノ<) 次は割りこそばを頼むぞ〜
  そば屋を出るときに関東の方から連絡があったらしく、高速・米子道を北上しているとか? 相棒は松江まで迎えに行きたいようだったが....同じ事を繰り返して、関東の方が、例えば、道の駅等の発見しやすい場所に到着した時に迎えにと説得する。
 私だってお迎えにと思うけど、待ち合わせ場所を決めないで迎えに走ってどうする。(TT) 連絡があった時に私に変れば待ち合わせ場所を決めるのにと思ってしまう。

 ホテルに戻りまず到着祝いの乾杯と、関東の方が遅れても地ビールだけは飲めるようにとお土産コーナーで部屋に持って帰れる事を確認
 レストハウスでピザを食べていると到着の電話が入る。 急いでピザは急いで食べて、一緒にお出迎えに行こうと相棒をロビーで待つ。
 結局、独りで迎えにいっていたようだ。(TT) 勘弁してくれ。

 その後、関東の方は晩飯、僕らは乾杯として食事&宴会を始める。
 バイクの車上火災...マフラー付近から燃え上がった火は、たちまち鞄を燃やしやボディーが燃えて、そのボディーのプラスティック片がジャンバーにぴたりと、ぴたりとついていた....ライダースーツで無ければと思うほど大変なできごとだった。
 彼には悪いけど、火災に気がついて路肩に停車したときはカチカチ山の狸状態であったと体の怪我が火を消す時に焼けどした指だけでなのを不幸中の幸いと思った。

そして、翌日−−−−−−−−−−−−−−−−−−>
 
 前日のツーリング中に風邪を引いて熱を出していたが、寝坊もせずに目が覚めると声は枯れていたものの体調はツーリングに出ても調子は復活!!  さぁ!!気合を入れなおして朝食に出かける。
朝食に納豆がでていたので納豆談義が始まる。 最近、匂いのない納豆が販売されているらしいとの話から、関西人も匂いがなければ納豆を食べてみようと思う方もいるとの話。 また、匂いの強い食べ物となると、はやりくさやの話など....出身地が異なるメンバーだけに食材の話だけでもかなり盛り上がった。
食事も終わり、準備も万端....大きな荷物をホテルに預けてさぁ出発....激しい雨が降り出した(ノ<)
そうえいば、熱帯低気圧が通過しているんだっけ?
私が長年、宿泊ツーリングするのを嫌がっていた理由の一つとして宿泊の旅にでると必ず嵐に襲われるジンクスがあった事を思い出す。

そういえば、夏の九州一周、地図を持たずに九州縦断したときも、長州路の旅も、宿泊したたびでは嵐に襲われていたっけ....
こう断言すると、雨男より酷いと嫌われそう。 だけど、僕の場合は嵐を呼んでしまうジンクスはあるけど、雨で困る事は....あっても、1時間ぐらい雨宿りすればOKといった調子。
昔、大型台風が日本列島を直撃する日に悪友に連れられて四国に行った時も、高知のスーパー銭湯で昼飯を兼ねて2時間ぐらい寛いでいる時に通過していった。
 話を戻して、1時間後出発しようということ話が決まり。 僕は先頭を走るので、今日の観光ルートの変更を考えて、部屋で地図と格闘をする。 100円ショップで購入した地図に今日のルートを書き込み、バイクのタンクにガムテープで貼りに駐車場に出た頃には晴れてきた。

 関東の方のバイクのダメージを心配しながら国道9号線にでて、奥出雲神話街道の入り口を目指しながら走る。 宍道湖の西の果てから奥出雲神話街道に入り山奥へと進路を帰る。  進路変更直後に大きな白い施設が見える。 興味津々だが、マスツーリングという事を思い出して通過していく。
出雲神話街道から吉田村へ。 村に入ってしばらく走ると、鉄の博物館と菅谷たたら山内の看板がを発見した。 しかし、たたらへの道は、山道を舗装してあるが.....そのうちに砂利道となり、獣道となりそうな雰囲気だった。
 大丈夫かな?と迷いながら、その道へと進んでいく。 軽自動車が1台走れる道路を進んでいくと高殿を発見したので、入り口の駐車場?にバイクを止めて中を見学するが...真っ暗でなにも見えない。
 
 ここでちょっと脱線して、高殿の紹介。
 吉田村にある高殿は全国で唯一、現代に残る和鋼生産の行われた場所として残されています。
 この高殿では大正10年まで1世紀に渡り、現代の技術でも真似ができないといわれている品質の鋼を生産してきました。
 他に、事務所的な働きをした「元小屋」、 生産された大きな鉄の塊を粉砕する「大銅場」が展示してあります。
 また、山内というのは、たたら製鐵に従事していた人の職場や住居のある地区を指して山内といいます。との事でした。
 もののけ姫のようなたたら場は何度も炉を作って鉄を生産する事から永代たたらと呼ばれます。
 さて、たたら製鉄とは何ぞやと思いますが、手元の資料をみると鉄を制すものが世界を制した古代の最先端技術だそうです。
 私も製鐵の町に生まれて鉄に関わりあいながら育ってきたので、古代の製鐵技術であるタタラをひとめ見ようとその跡地を求めて奥出雲にある「菅谷たたら山内」へ。
 ここは数年前に放映さえれた映画「もののけ姫」で、日本に残る永代たたら場として少しスポットが当たるようになりました。
 現地に行ってみると江戸時代以前の古代製鐵技術だと思っていたら、大正時代までは現役だったとか? この話は一見は百聞にしかずという実例ですね。 そういういえば、吉田町の近所の横田町では技術を後世に残す為にたたらが行われているとか?...こちらは永代たたらじゃないのかな?
 それとも僕の聞き間違いかな?と思いました。 ※興味がある方は調べてみてください。
 話をたたらの歴史に戻します。 タタラ製鐵は古代より、金属は儀式用の神器・祭器から鍬や鋤などの実用的な道具まで幅広く利用されてきました。
 しかし、金属を精錬するためには、原料となる量の鉱物を探し集めることが困難であり、燃料としての木材も大量に必要します。
 それゆえに人里はなれた山奥にたたら場を設ける必要が生まれます。 そのような背景があって非常に困難を極める事業だったそうです。

 また、大量の木々を伐採する事は、山々を荒らす事にも繋がり、林業や農業を営んでいる方々との争いも絶えずあったとか?
 私たちは山内(タタラで働いている方の集落をさすようです。)の観光場所を見ながら、もののけ姫とだぶらせながら観光してきました。
 今では道路も綺麗に舗装されていますが、昔の映像(後で立ち寄る鉄の博物館で見れます)を見ると、けもの道と行った感じでした。
 また、ふいごがこちらにはありませんが、私が帰りに横田町の「奥出雲たたらと刀剣館」に立ち寄った時、実物を見ることができました。
 「元小屋」に山内での暮らし振りがわかる物が展示してあったので、ゆっくりと見て回りすぎました。
 特にこの二階は忍者屋敷みたいで面白かったですよ。

菅谷たたら山内を後にして鉄の歴史博物館へ
 その博物館に行く入り口に、田部家(林業王)の白壁の倉が目を引きます。
鉄の歴史博物館入ると、たたら技術を後世に残すために技術的検証を兼ねて撮影されたビデオを見る事ができました。
村下と呼ばれる技術長の仕事ぶりそれを支える人々、全て感といわれるが、経験から学んでいったその科学感、自然観には恐れ入るものでした。
また、たたら製鐵だけでなく山内生活なども含められていて、高校の教材となりそうな映像でした。
そのビデオを思い出しながら書きますと、たたら製鐵は極端に水を嫌うので、火を焚いて土を乾かす事から始まります。
そして炉が溶ける事を計算に入れながら炉を構築していきます。 炉内が完成して乾燥したら木炭を入れ、風を炉に送って(もののけ姫ではふいごで送ってましたね) 火をおこします。
そして砂鉄を入れ、木炭を入れて..といった具合に、村下が火の機嫌を見ながら、炉内の様子を見る穴から漏れてくる溶けた鐵を見ながら、絶妙なタイミング砂鉄と木炭を繰り返して入れて行きます。
 4日目を過ぎると最後に炉を壊して鐵を取り出します。 鐵は自然冷却だと良質な製品が作られますが、日露戦争中など鐵が大量に必要なときは池に沈めて急速に冷やしたとの事です。

1号館は道具が飾られていたが、菅谷たたらと比較して保存状態が良いだけでと同じ物だったのと、古都を観光すると目にするものだったので、そそくさと錣山経営と鍛治集団をテーマにした2号館へ。
2号館でも白黒映画の時代に撮影されたたたら製鐵から鍛治までと、また、同じものかよと思ってしまったが子供がビデオ再生のボタンを押したので、相棒を待つために眺めていたら、ちゃぷりんの映画を見るような感じで懐かしく、また為にもなり、面白かったです。

特に先ほどのビデオで見られなかった鍛冶屋シーンを見ていると思わず「しばしも休まず」と口ずさんでしまいました。
 2号館白黒ビデオを上映している所を通過して、右を見るとビデオ上映している部屋の右壁の奥
ここに何か人形があった...そそくさと行ってみると  ρ(⌒◇⌒)ノ.はーいっ、歌どおりに鍛治の再現していました。
 パネル展示コーナーと道具を展示している場所は、歴史や技術を語ってましたが.....
簡単にいえば、世界的にも有名な日本刀は古代製鐵と鍛冶の技術の結晶であり、1号館でみた技術に加え、2号館でみた鐵は熱いうちに打って不純物を叩出して、玉鋼を何度も折り返し、幾重の層に薄く重ね、各部位により性質の違う鐵を重ね、切れ味がよく、折れず、曲がらずに、美しい優れた刀を刀匠達は作り上げたらしいです。といった技術、知識、道具などを判りやすく展示していたのです。
 それと忘れては行けないのは、最先端技術なのでその時に関り合った権力者達のことも....

顔を出す感じで観光めぐりする予定が2時間もオーバーしていた。 
吉田村の鉄関連の観光施設を脱出する時には既にAM2時を過ぎていた。
 中部の方との合流を気にしながら、遠い地なので予定通りに鉄の未来館にも訪れる。
 鉄の未来館では、石炭から鉄が苦手とする硫黄分等を取り除く為に焼き固めたコークスを利用した近代製鉄。 
私たちがTV等で目にする事のできる高炉の原型となった模型が飾られています。
 実際に鉄を作るのは高温が必要な為に多くの材木が必要であるため、木の伐採が進みすぎて危機的状況に、
その対策として石炭=>コークスとなりこの製鐵技術は産業革命に一役買いましたといった近代製鉄の話と永代たたらとの比較
 そして、鉄を使った最新技術の紹介....鉄と一言でいえば終わりも知れませんが、製法により色々な種類があり、それぞれの特徴があるようですね。

 ここを出ると待ち合わせしている中部の方が松江に到着しているとの事だったので、予定を変更して出雲に戻って高速を走る。
 PAで休憩しながら中部の方へ連絡すると眼下に見える玉造温泉街にいるらしい....
 せっかくここまで来たのと、中部の方が温泉に入っているというので、松江城の門前で記念写真を撮って戻ってくるつもりで行ったが.....
 これが大きな間違いで町仲では渋滞が始まっており前に進めない。
 松江城の駐車場は満車だったので、県庁の駐車場に駐車。 急いで松江城へ
 ※初めて来たのに見たことのある風景だったので、小さい頃に松江や出雲に行った事はない?と尋ねると無いとの事。 前世はここに住んでいたのかな?

 城の見える所で写真を撮り帰ろうと思っていましたが....結局はずるずると松江城観光。 あはははは。僕のせいではないからね。
 城の観光案内を読んでいると、松江城は外壁は黒塗板張りの質素なものですが各所に銃眼(袋狭間)が不気味にのぞく、桃山期の特徴を残した実践的な城で、天守は五層六階の本瓦葺きの望楼式独立天守だとか?
 特に別名『千鳥城』と呼ばれているそうです。
 そして、急ぎ足で中部の方ごめんなさいと心の中で謝りながら走りながら合流できたのは玉造温泉入り口でPM4時...日も沈みかけていた。
 ホテルへ戻りながらメンバーが全員そろったので、宍道湖が見える湖畔で記念写真を撮り郷土料理を頂こうと、良さそうな場所を探しながら走り出す。
 最初にとまった宍道湖湖畔にある公園...隣接している国民宿舎付近で夕日をバックに記念写真。
 晩飯も、ここからしばらく走った湖畔にある。 ど派手な真っ赤な料理屋さんに決定。 
 このお店では、定食に定食にシジミ汁(おすまし)が付いているということで割こそば定食を注文。
 イメージはザルソバ風にでてくると思っていたら、大きな皿に盛られてきたのはショックでした。(笑)
 しじみ汁はいがいに上品な味でしたけど....私は味噌味だと思っていたので、ちょっぴり残念でした。 
 出雲蕎麦も家の近くにある出雲そば屋さんの味に近いと思っていたら、ぜんぜん違って甘さが少なく濃い味でした。
 食事が終っても、店内に怪しげに置かれている懐かしいおもちゃに僕らは足止めされて、おもちゃを前に子供の頃の話をしたり、漫画映画や子供向け番組の話、近い世代で集まった事もあり、時を過ぎるのを忘れながら話し込んでしまいました。

 この辺りで、話を脱線して、宍道湖の説明を簡単に
  この湖は宍道湖北山県立自然公園の中心として優れた景観をつくりだしています。
 宍道湖・中海の見所は白鳥やカモなど多くの水鳥が飛来し、斐伊川河口付近や中海の白鳥海岸などは格好のバードウォッチング場となっているそうです。
 また、湖の性質をいうと宍道湖は大橋川を介して中海と連なり、その隣接する中海は境水道を介して日本海とつながり、この両湖は代表的な汽水湖(淡水と海水がまざる湖のこと)として知られています。
 でも、調べていくうちに大昔は1つの湖だったそうですが、近年になり完全に切り離されているそうです。 
 ※最近、色々と工事をしていくうちに、一部が繋がったという記事も見かけました。

 また、食べ物方面では、ヤマトシジミ、スズキ、ワカサギなど様々な魚介類(淡水魚や海水魚まで)がとれ宍道湖七珍(しっちん)料理は有名な郷土料理として知られています。
 中でも宍道湖産のシジミは全国的に有名で、朝もやの中でのシジミ漁の光景は宍道湖の風物詩のひとつとなっています。
 さて、ホテルに到着して、1Fのレストランで二次会ということで、地ビールを飲みながらバイクの話をわいわい。
 レストランが閉まると、ホテルのインターネットルーム前で楽しんでいました。
 中部の方と関東の方はべスパの話...そしてバイクの話題の交換
 インターネットで集まった仲間だけにネットの前で情報を交わしながら盛り上がってしまい。
 気がつくと夜もふけて0時を過ぎていた。 Zzz... ( ̄〜 ̄) ムニャムニャ...状態だったので部屋に戻り就寝

前日よりはるかに良くなったとは言え咳で他の方にも迷惑をかけたかな?と、
何度も思いながら気が付くと朝になっていた。 
出発の準備をしていると、関東の方の携帯電話に知り合いの神主さんから滝に打たれて来いと、その時の祝詞と必要なものを言われているようだ。

エンジンが温まった所で出発する。 出雲市内を抜けて、島根ワイナリの直線の多い道路を使って出雲大社の前を通過。 当日は出雲マラソンがあったので、大社の入り口ではTV局がTVカメラや三脚を設置していた。
出雲大社というと古いという印象があるけど、本殿は三回ほど建て直されており、今のは江戸時代に立てられているそうです。
ちょっと脱線して、出雲大社(いづもおおやしろ)に祭られている神様について
ここの神様は「因幡の白兎」に登場する「だいこくさま(大国主大神)」を祭っているそうです。
また、だいこくさま『大国主大神』は、「天の下造らしし大神」とも言われるように、今で言う都市計画から人々が自立して生活できるようにしたとの事で、縁結びの神様といっても、男女の仲をとりもつのでなく、生きていくのに糧になる友人との縁結びを行う神様だそうです。

 さて話を戻して、出雲大社は帰りにという事で黄泉の入り口といわれる海岸にでてから日御碕までフリー走行
十分に風景を見て、写真も撮って日御碕神社灯台へ...あれ?誰もいない?
駐車場が満車だったということもあって、1周、2周と探すがどうもみんなはここに来ていないようだ。
勘違いして、実は日御碕神社かな?と思ってUターン、案内標識に従って海岸に降りていくと漁港の入り口に神社が見えてきた。
とりあえず駐車場にバイクを止めようとすると2人のバイクが止まっていた。 神社内に入ると相棒と関東の方を発見する。
せっかく神社前にいるので、見学している間に中部の方が来るだろうと思って神社内へ

訪れるまでは小さな神社と思っていたけど、振り向いて入り口を見ると大きな朱色の綺麗な門で建て方は日光東照宮に似ていた。
日御崎神社内を徘徊している神社の由来が書いている立て札を発見 読んでいくと祭っている神々に驚く、さらに建設目的に驚く
ここの神社は天照大神と素盞嗚命を祀っていて、現在の建物が徳川家光の命により造営されたそうです。

そして、この神社が出来た経緯の立て札を読むと、日出るところに伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲に日沈宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らむ....
え? 江戸時代を舞台にした時代劇で町民の会話ででてくる、有名なお伊勢参りの詣で先となる伊勢神宮と同じように日本を守っている神社!?
すご〜い。 という事は、最近は特に夜型の人が増えた現代日本では御伊勢参りとともにこちらにも参拝する方がご利益がある方が多かったりして?
日御碕神社で中部の方を待ってましたが、痺れをきらして探しはじめ、灯台周辺を3周ぐらい巡ってやっと合流して出雲大社へ
大社の仲見世の並ぶ参道を歩いて行くと現代的で大きな建物見えてきた。
これが出雲大社?と思っていたら、施設の一部の建物で舞を納める舞台になったり、結婚式を執り行う建物であった。
ここから壁や木々に囲まれた砂利道の参道を歩いて行き参拝できる場所へ。
祈願前に社内をうろうろしていると、関東の方が色々と巫女さん、神主さん見習の方に瀧に打たれる場所を聞いていた。

このときまでは、どこかでお払いを受けて瀧に打たれるのかな?と思っていたので、何も考えずについていく。
境内を抜けて側道を歩き民家との境界線に来ると「八雲瀧」との石碑
そこから荒れた道が山奥へと続いていた。 道の横を流れる川...水は無かったので本当に瀧に打たれることができるの?と思ってしまう。
険しくも無いが、人が通ってない事がわかる狭道を歩いて行く「八雲瀧」へ到着
 この風景を撮ろうとすると画面には真っ黒で何も写らない、突然現れた無作法者が神聖な場所を撮ろうとするので写させて頂けないのかと思って、心の中でお願いをしながら撮影して見るとかすかに写っていた。
 後はシャッター速度を落として1枚
そして、関東の方と相棒達が滝に打たれる為に脱ぎだした...私は風邪も引いていたので傍で見学するつもりだった。
しかし、九州男児なので出来ることは挑戦してみたいと思って....私も参加する。 
服を脱ぎだすとアベックがやってきてこちらを見ている....

男性の方は更に山に入っていったりとその周辺をうろうろしながら写真を撮りだしたので、女性も一緒に行くのかと思ったら、動かずにこちらを見ている。
そこで我々はお先にと言うけど...その場から動かない仕方ないので...
でも、屋外で見ず知らずの若い女性1人に見られるのは、いがいに気恥ずかったりする。
こんな状態で裸でうたれるのも気が引けたので、パンツとTシャツを着て祈願をする事に....
まずは、関東の方から鳥居の中に入るときに塩を撒いて、あんちょこを持って瀧に打たれる。 水量が少ないので痛くはなさそうだが、水の冷たさが辛そうだった。 そして、つぎは相棒  そして、僕の番となる
 塩を撒きながら、見えない神様に挨拶をしながら鳥居の中へ  瀧の周辺部から体をスライドさせるように入り込む。 そして、瀧に打たれだして、気合を入れて、あんちょこを読み出す「払いたまえ、清めたまえ...」と読み上げる。
瀧に打たれている時間はほんの数秒...この程度ではご利益がないと思って、3回ほど繰り返して出てくる。 水量も少ない事もあって拍子抜けした感じだった。
もう一度、もう二度といった感じで繰り返して瀧に打たれて見たけど...祈願を聞き届けてくれるの?といった感じだった。 瀧に打たれてもどうともないため、瀧に打たれている所を記念にとカメラに収めて頂こうと思って、チーズの声とともに「Vサイン」...これが大失敗だった。

 急に水が息が出来ないぐらいに冷たく感じて....神様に謝ったのが届いたのか、瀧から出られた。 そして、乾いた服に着替えようとしている時に気が付く.....先ほどの女性がこちらを凝視していた。
我々は気恥ずかしさのために物陰で着替え、道があっただろうと思える道を歩きながら出雲大社の方へ歩きだした。
途中、12時を報せる鐘が「キーン コーン カーン コーン...」となっていた。 そういえば、あのアベックはどうしたのだろうとふっと思ったので、瀧の方を振り返って見ると誰も居なかった。 あれは、いったいなんだったのだろうか?
出雲大社本殿にでたあと周囲を巡っていく、 本殿の回りにも小さな社がいくつも建っていた。 新しいのから、古いのまで。
祭られている神様は日本神話ででてくる有名な神様が祭られていたので驚いたりしていた。
本殿の周囲を散策している時は参拝客が少なく静かだったが、本殿前の庭は大勢の参拝客で賑わっていた。 

我々も、縁結び守りを購入したり、祈願するためにお賽銭をいれたりと参拝客の中に溶け込んでいった。
出雲大社では、人生を豊かにしてくれる応援をしてくれる意味を持つ「良縁成就」に絞って祈願にした。
祈願の順番が来たので、係りの者に連れられながら拝殿に入る。 壇では厄除けの道具が3本立てられているのを見て、あれ?と思っていると、神官がお守りを壇においてでていく
次に神主さんと巫女さんが入ってきて、巫女さんは隅で頭を下げた状態で座る。 神主さんは踊るような美しい足運びで、白いヒラヒラした紙のついた棒というか大麻(おおぬさ)で身を清めて、一度戻り、中央の大麻に移動してから祝詞と祈願者の願いを読み上げた。 これで終わったと思った。 
すると巫女さんが立ち上がり神様への奉納の舞い、それとも祈願をしている方を清めるために、肌の露出部分を隠すように絹をまとい。
あまった絹が鈴に絡むような感じで、踊るように、しかし、歩みは遅く、鈴をならしながら、見えない物を払うような。
ゆっくりと時が流れるような動作、鈴を鳴らしながら踊ってくれました。 そして、もう一度、大麻で神主が見よ清めながら神様の元にあるお守りを取りに行って、それぞれ祈願者に渡されました。
 そして、祈願者に独りづつ、お守りがて渡されてて、ツーリング目的である祈願も終った。

それぞれ帰る方向が違うのでここで解散ですが、その前にみんな一緒に昼飯でもと参道にある出雲そば屋へ
ここで、そばにしては値段が高かいと思ったが、そう、そう、来る事はないので5目割こそばを注文する。
割こそば小さなおわんにそばが半玉入っていて、5つのお椀にそれぞれ異なる薬味が入っていた。
出雲そばの麺は黒く、甘めで複雑な濃い味が好きな九州人としては、出汁はあっさり辛めだなと思いながら美味しく頂いていきました。

そして駐車場では4台バイクを並べて最後の記念写真
だれからともなく、ナンバーも違うし、機種..ロード、オフ車と広義の意味でも違う4台。
一緒に並べていても、ツーリング仲間だと思う方はいないんだろうなと....そういわれてみれば(笑)

私と相棒は九州まで一緒に帰る事も考えたけど....おろちループ橋と横田町の施設が気になる。
結局、遠回りになるけからと相棒と駐車場で分かれて一路、広島方面へ


出雲市内はマラソン渋滞もなく快走できた。 道沿いに立てられている案内版
 が私の足を止めようと誘惑するが....
  高速に乗ってから350kmは走る必要があるので、次回、次回と念仏のように唱えながら振り切る。 横田町に入る頃はPM4時を過ぎていたので、急いで心残りの「たたら」の施設を見学する
 ※実はこの少し前に、地図を持っていない為にそばで有名な店(駅舎)の前を通過していたのであった。 ものすごく残念!!
 刀を作っている日ではなかったので、吉田町で見た物が多かったが、もののけ姫に出てきた「ふいご」だけはここにしかなく。
 ふいご操作を体験できる模型で、風力を一定にする大変さを学んだり、ふいごを押す機械を見て...大きさには驚いたりした。
 道に復帰すると日が沈みだして、僕の影がものすごく長くなっていた。

 そして、山陰と山陽を分けている山々が近づいてきた. しばらく走っていると観光客が車を止めて駅を見学していた。 何かと思ってバイクに跨ったまま近づいて止めて見ると、スイッチバック式が珍しく集まっている事を知る。 私は時間も無いし、阿蘇の外輪山が切れている所に立野という駅舎があって、ここの路線もスイッチバックになっているので、この誘惑も振り切り....おろちループ橋へ
 おろちループ橋を走ってみると、途中にトンネルがあるだけで期待していた程は無かった....
というより、八代とえびのループ橋を何度も走っているだけに感動が薄れたのだろう。 その後に道の駅に寄ってみるがループ橋を一望できる場所を
探してみるが、日が段々と暮れていくだけであった。

 その後、道に迷子になって分からないので、私を追い抜いていくバイクについていくことにした。 最悪、国道2号線に...運がよければ高速道路を
発見するだろうということが間違いだった。
 実際にはついていったバイクのナンバー「福山」と書いてあったのに気が付くのが遅く、広島市内より岡山側にでてしまう。
※ソロ・ツーリングの楽しみ方に迷子になって新しい道を見つけるのもあるけど、それを実践すると帰りが遅くなる事を忘れて実践してしまう。
 しばらく走って広島市内にでる....お好み焼きの有名店も知らず、どっぷりと日が暮れていたので、お好み焼きを食べて帰る事を諦める。
  またかぁ...いつも広島に到着すると行程的に無理があって「広島のお好み焼き」を食べる時間が確保できない。
 ほんとうに、広島のお好み焼きには縁がないのかな? いつまで経っても広島風お好み焼きしか口にできないのかな?
と、後ろ髪をひかれつつ高速に乗る....
 途中、下松SAでガソリンを補給しようと立ち寄ると、福岡ナンバーの美人ライダーが寒さの為に合羽を着ていた...ちょっとラッキーと思ったけど、忙しい時に声をかけるのもと思ったのが間違い。 トイレから戻ってくると...出発していた。
 あぁぁぁぁぁ...口惜しい そして、GSに寄るとVANジャケットを来た福岡ナンバーのゼファーがいた。 知り合いかなと思ったけどよくわからなかった。  その後、あまりの寒さに合羽に着替えたけど、美祢周辺を通過しているときは無茶苦茶寒く...手がかじかんできた。
どこかで休憩と思っていたら下関市内の明かり、そして関門橋がライトアップされていて綺麗だった。 壇ノ浦PAで体を温めるためにコーヒータイムで休憩、そして夜遅く帰着


                                                           By.おこた