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ひむか神話街道・宮崎の旅

百済の館 ひむか神話街道・宮崎の旅
百済の館【
神門神社 ひむか神話街道・宮崎の旅
神門神社【
神門神社 ひむか神話街道・宮崎の旅
祭りの風景の模型
7/27 09:59 ラリーに参加したような状態だった林道を抜けると、
九州山脈を抜けたと思うばかりの平地にでた。 カーナビを見ると南郷村のようだ。
小川を渡ると、ひむか神話街道の案内標識は左であったが、観光で来ているのでカーナビの指示にしたがって西の正倉院へと右に曲がっていく。
広い道路にでると随分先の方まで見渡せる盆地にであった。 四方が山に囲まれていなければ、都城や人吉に匹敵する所になっていたんじゃないかと思うぐらい広かった。
百済の里&西の正倉院の駐車場へ到着。

ここに来る前に日本史を新聞風に紹介している雑誌を読んでいたので、百済の里の響きに西の正倉院の文字で拍車がかかり期待は大きく、ここの訪れるまでは百済の王がここに落ち延びて来て、平家のように反映したのではないか、その遺品が名前は違うけど、俗称・西の正倉院に保管されていると思っていた。
実際には百済と関係が有ったのは百済国の王も祀られている神門神社だけなのだが、その関係で神社の入口に「百済の館」が立てられ。 また、祭られている銅鏡が奈良の正倉院と同一品を含んでいるという事で正倉院を再現していたとの事だった。
ちょっと残念だったが、見方を変えて旅のテーマを日本に流れ着いた百済国を追いかけてに絞って、田野町、木城町・比木神社と共に訪れると面白かったと思う。
ちなみに「西の正倉院」、「百済の館」に訪れて、福岡にある水城や博多に作られた防塁などに歴史が繋がっていくのが見て。Σ(□−□ )ほぉと思ってしまった。 
歴史が楽しくなる瞬間である。 また、文中に出てきた木城町・比木神社であるが百済国・皇子が祀られていて、年末になるとここより神門神社を訪ねる祭りがあるそうです。
西の正倉院 ひむか神話街道・宮崎の旅
西の正倉院【
ひむか神話街道・宮崎の旅
中国風の狛犬
西の正倉院 ひむか神話街道・宮崎の旅
西の正倉院からの風景
そして、元の道に戻り更に山道へ
 南郷村の民家がある所まではひむか神話街道の案内標識は有ったけど、キャンプ地らしき所を過ぎると完全に山道となる。
 1時間ほど走っていると分かれ道を発見、案内板は脇道方面に椎葉への迂回と書いてあるので....迂回道路は本線が土砂崩れなどで通過できない時に案内される道路で、遠回りだったり狭道だったりする。  カーナビにも存在しない道だったので古い看板と判断して真っ直ぐ走る
  それから随分走ると学校やらが見えて来て分かれ道を発見。 ここで、どの道?とカーナビを見ると... え? 人吉に近い!? どこかで迷子??? カーナビで椎葉を指定して頼りに走り出す。

 しばらくすると、先ほどとは違う分かれ道を発見、またもここで椎葉方面の道を迂回路とか書いているが、カーナビがそっちに行けというので進んでいく。
 峠を越えると、斜面はぞくぞくとするほどの垂直に近い急斜面...大丈夫なんだろうと泣きが入りそうだった。

 12時を過ぎる頃にやっと椎葉村の役場近くに到着しましたが、さすがに運転が苦にならない私でも、
 200Km近い山道には泣きが入ってました。
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 椎葉で○○屋敷や民族資料館の観光は、早く山道から脱け出したい気持ちの時に目に止まった駐車が満車だったのでパスしてしまいました。
 実はこの辺り、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士達が落ち延びた里でも有名だったので興味ありましたが、次回は阿蘇・蘇陽町方面から見に来る事にしようと思います。
 百済にしろ、平家にしろ、この山脈に落ち延びるのが多いのか理由はわかりませんが。
 私は日本の都から離れていている山深い所。 こういった所に隠れたゲリラを掃討するには現代の軍隊でも敵より数倍〜数十倍の兵隊にて山を取囲むようにしないと殲滅できないとの事。 都から遠く離れたこの地では発見も難しいと思います。 
 また、日本神話が色濃いく残っている所なので、神が守ってくれると信じたのかも知れませんね。
 椎葉を抜けると観光バスも走れる道路が続いたのでスムーズに高千穂へ
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随分と山を走ったので休息中
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小丸川の源流


西都から
南郷村へ

百済の里
西の正倉院

天の岩戸
神社散策