石見銀山編

 途中、広島えと続く高速入り口とバイパスを間違えたりしながら、鳴き砂などで有名な海岸線を走っていく。
UP、Downを楽しみながら走っていくと、なんか、変な風景が目に飛び込んできた。 現実の世界でなく、アニメーションの世界というかそんな感覚、目に飛び込んで来る風景に遠近感がない。
疲れたのかな?と思ってバイクを止めると原因がわかった。 石見海浜公園に国道9号線を挟んで隣接している施設である石見安達美術館からしまね海洋館「アクアス〜」へ

と渡る為に作られた歩道橋が原因であった。 そう、歩道橋が橋のデザインと空とが絶妙にマッチしていて、目に見える風景を絵画の世界に変えて不思議な気分にさせていたのであった。 そう、そう、後でわかったのですが、しまね海洋館「アクアス〜」は国内でもあまり例のない「白イルカ」が飼育されてます。 石見海浜公園は浜田市と江津

市にかけて広がる全長5.5kmの海辺の公園で、自然の地形を利用し丘陵地や林、砂丘、展望台などが点在しています。  歩くとキュキュと無く「鳴き砂」もこの近くにあります。
 1年砂時計の施設のあるサンドミュージアムを横目でみながら通過して、その後に出てくる石見銀山の看板を頼りに出雲路への旅をいったん中断して山奥へ進んでいく。 この石見銀山は16世紀〜17世紀の約100年の間には大量の銀が採掘され、戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われていました。
 また銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ銀」と呼ばれ海外にも数多く輸出されたそうです。 17世紀前半の日本で生産される銀は世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれています。 
石見銀の産出量は年間38tと推定されるので、かなりの部分を産出していたと考えられています。 佐渡の金山、石見の銀山....小さな島国なのに世界で算出される貴金属の数割を占めていたので、伝説の国ジパングという話ができても不思議ではないと思ってしまった。
我々も代官屋敷前の駐車場にバイクを止めて石見銀山の歴史を勉強。 最初の頃は落盤も多く、命がけとか....パネル説明されてもピンとこなかったけど、銀山跡地近くの五百羅漢を見ると、なんだか(ノ<)
 実感してくるような感じです。 今年は昔の日本を追いかけながら観光しているけど、品質という意味の技術では明治以前の日本は捨てたものでは無いことに気がついてきた。 後で出てくるタタラ&大鍛治にしろ、現代の技術では再現できない物を作っていたとかとか...
まぁ、それぐらいの技術をベースで持っていなければ、頭の良い人が海外で活躍する程度だったと思う。 急速に西洋化できたのは目的が大量生産でなかったので評価は低かったけど、技術レベルが高かった証拠なんでしょうね。と思いながら、100年以上前の技術に驚きながら資料館を見て回った。 町中は観光客もいなかったので、住んでい

る方々に迷惑をかけないように注意を払いながらバイクで回ることにした。 といっても、古い建物を残す狭い道をゆっくりと、写真を撮るために停車したときにはエンジンを止めてパシャパシャ、 きょろきょろしながら、また進んでいくと行った感じであった。 道路を進んでいくと人気が全然ないので、以前と比較して観光客が少なくなった
のかな?と思っていたけど駐車場に行くと大量の車が止まっていた。 どうも、施設に入って見学している方が多かったのだろう。 そういえば、銀製品を加工している店からは女性の声で賑っていた事を思い出した。