
因島大橋( )を見渡せる公園より |

公園から見る瀬戸内海の島々 |

玄海灘を見て育っている僕は静な海を感じます |
布刈り瀬戸をまたぐ因島大橋を抜けたPAで休憩する。
PAから大橋を見渡せる公園まで歩道が繋がっていたので、さっそくさんぽ....
いや〜 風景はよかったけど...高いところ恐い病がでてしまった、(;^_^A アセアセ・・・
この大橋は鋼床版を採用した経験を生かして、長大橋梁の建設に生かされているとのことです。
また、橋のトラスの内部に歩道と自転車道が渡されています。
歩いては辛いと思うけど、原付自転車で島々を眺めながら渡る事を薦めします。
写真を撮り終わって汗を描きながらPAへ戻り、伯方の塩と伊予柑のミックス・アイスクリームを頂きました。
塩とアイスクリームの組合せは、意外と病みつきになる美味しさでした。
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橋のトラス部分を走る、人道 |

因島大橋から見える、島の風景 |
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この水軍城の見学は、色々な場所を巡ってきた経験から言えば 歴史を語る場所は江戸時代の頃が多く
又は、現実、物語、神話の区別が付かない場所が多かったが、水軍城に来ると...
この城に来ると戦国時代以前の若々しく劇的な情熱...日本国の青春時代のような息吹が感じられます。
水軍城は室町時代から戦国時代にかけて威勢をふるい、八幡大菩薩の旗をかかげ朝鮮、中国から遠く東南アジアまで勢力をのばし
「倭寇(わこう)」の名を海外に轟かせていました頃の思い出が詰まってましたよ
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技術は幼稚だけど、力を感じますね |

戦国時代のおももきを感じる門 |

このような帆船で戦っていたのだろう!! |
さて、因内水軍というか村上水軍と聞けば、九州男児の僕が思い出すのは壇ノ浦の戦いです。
特に屋島までの戦いは義経の常識を超える戦術や奮闘により、日本人の好きな小数で大数を征していった。
だか、これは戦術的な話して、水上の戦いに強い平家は不利を悟るとすぐさま海へと撤退を図り、
巻き返すチャンスを模索しているなど、戦力的には勝っていた。 義経からみれば、決定打にかけていた。
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因島水軍( ) |

兜などが展示されていました |

山城だったのには驚きました |
しかし、源義経が讃岐の屋島まで平家を追っかけて来たが船と水夫が足りずに足止めをくらっていた時。。。
河野通信と村上頼冬が300隻の船と3千人の兵で応援に駆けつけて来ることで、源義経は水上での戦いにも強くなり平家の旗色がさらに悪くなっていく。
平家も巻き返しを計り、厳島に平家を集結させて各地の豪族(海賊)に呼びかけて、歴史に残る最後の決戦(日本第一次大戦と呼ぶべきかな?)
関門海峡で壇ノ浦の合戦が始まり...平家の滅亡へと繋がっていく。
僕の記憶なので不確かだけど、義経が村上水軍との出会いが歴史を変えていく事になった事をここを見学しながら感動していました。
なによりも、いつも忙しさにかまけて忘れていた。
一期一会(人の出会い)や物事を戦略的に考えて戦術的に実行していく事の大事さを改めて思い会しました。
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運動会の騎馬戦の時、
Myクラスが弱者ONLYしかいないとき |

この時,何故か八幡大菩薩の
御旗の元で戦えと言われてました |

八幡大菩薩は九州の宇佐( )に
本殿?があります。 |